出張先での雑記帖



八幡
Yahata


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2017年 1月 7日(土) 八幡(京都)

<ぶらり岩清水八幡宮>

京都府八幡市の男山に鎮座する石清水八幡宮。
旧称は「男山八幡宮」
男山は、京の都からみて裏鬼門(西南の方角)にあります。
(京都の裏鬼門を守る神社、石清水八幡宮)

石清水八幡宮は、伊勢神宮、京都の賀茂社(上賀茂・下鴨神社)
と並ぶ日本三社の一社です。
また、全国の八幡宮の中でも宇佐八幡宮、鶴岡八幡宮とともに
日本三大八幡宮の一社に数えられます。
歴史的にも昔は二十二社(上七社)に選ばれたり、
旧社格では官幣大社に選ばれたり、
とにかく重要視されていた神社です。

平安初期に、宇佐八幡宮の八幡神から
「都に近い男山に移座して国家を鎮護しよう」
と託宣(神のお告げ)があったので、
この地に勧請したのが始まりです。
都の鬼門を守る比叡山延暦寺と共に裏鬼門を守るため、
王城鎮護の神様として朝廷から篤く尊崇されたことから、
伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟と称されてきました。

更には源氏の中で英雄視されている源頼家は
ここで元服の式を挙げたことから
「八幡太郎義家」と呼ばれています。
その後、源氏から篤く崇敬されていて、
源頼朝は鎌倉に幕府を開く際に、
石清水八幡宮から八幡神を鎌倉に勧請しています。
それが鶴岡八幡宮です。




久しぶりにリフレッシュできました!



頓宮
頓宮というのは、仮の宮のこと。

普段は何もありませんが、
年に一度の勅祭「石清水祭」で、
山上の御本殿より
御神霊が御遷しされる重要な場所。

南総門
本殿が参道から真正面ではなく、
ちょっと西側にずれています。

参拝した後に八幡大神様に
真正面に背を向けて帰らないように
中心を外して作っているのだそうです。

本殿
現在の社殿は江戸前期の
寛永11年(1634)徳川家光による修造


八幡造(切妻造)
(本の中ほどを開いて伏せた形の屋根)

若宮社
若宮社には、
御祭神の八幡大神(応神天皇)の皇子
である仁徳天皇が祀られています。

二階建になっている珍しい摂社
男性の守護神

若宮殿社
若宮殿社には、
御祭神の八幡大神(応神天皇)の
皇女が祀られています。


二階建になっている珍しい摂社
女性の守護神

摂社(住吉社)・末社(一童社)
神社の境内にある
小さな社は摂社・末社といいます。

摂社、末社も本社に附属する神社ですが、
現在では特に両者を区分する規定はなく、
本社の管理下にある
小規模神社の呼称として用いられています。

築地塀
本殿と摂末社を含めて、
築地塀という塀で囲まれています。
珍しい塀ですが、
これは織田信長が好んで使っていたようです。
瓦と土がミルフィーユ状になっていて、
鉄砲の銃撃や耐火性、耐久力に
優れているそうです。

そして本殿の東北の方角、
つまり鬼門に当たる場所は
このようになっています。

東総門
三つの門はすべて江戸時代前期に
作られたもので三方に配置され、
それぞれ「東総門、西総門、北総門」
と呼ばれ重要文化財に指定されています。

北の回廊は真っ直ぐ伸びて
東側の回廊とは
直角に交わらないようになっています。
これは鬼門(北東)方向の鬼門封じのためで、
鬼門に対して斜めになるように
設計されています

一ツ石
この石は勝負必勝・勝運の石
とも言われていて、
昔はこの石が走馬・競馬の
出発点だったそうです。